ダイアリー

プロフェッショナル

残暑お見舞い申し上げます。

弊社も今年は9連休と、長いお休みをいただいております。

と言って、帰る田舎もない、ご先祖をこの夏に迎えるという習慣もない私は、いつもとさほど変わりのない日々を過ごしています。

 

スタッフの欠員があり、思いがけずこの夏、ガーデニングの現場作業に出掛けることが多くなりました。

小さな会社ですから、一人欠けただけでも大変です。

社長とて、悠然と腕組みして考え事をしたりしている暇はありません。

でも、体調を崩した社員を呪ったところで仕事が減るわけでもなく、開き直ってツナギに着替え、頭にタオルを巻くとスイッチが入ります。

長くやっていたことというのは、少しのブランクがあっても体が覚えているのでしょうね、我ながら良い仕事ができることが嬉しく、楽しくもあります。

パンツまでびっしょりと汗まみれになりながらも、しばし暑さのことなど忘れて集中します。

仕事を完了した後の達成感と爽快感は格別なものがありますね。

 

「働いて元気になろう!」が我社のスローガンです。

元気になったら働くのじゃなくて、働くことで元気になれる、とそう考えています。

それは私の実体験から来た、元気を失っている方への励ましの言葉のつもりでもあります。

でも、世の中を見渡すと、そうなっていない方を多く目にします。

働くなんてことは苦行以外の何物でもない。働かなくても生きていけるのならぜひそうしたいものだ、と。

実際、働いているのか遊んでいるのか分からないけれど楽しそうにしている人も結構いるわけで、ますますわが身を呪いたくなるのも分かる気がします。

 

では、働いて元気になるために必要なことは何でしょう?

まず、安心して働ける環境であることは不可欠ですね。

自分はそこでは認められ、身の危険を感じるようなことなくいられる場所でなければなりません。

それと、やりがいでしょうね。

やりがいを持って働けるかどうか、これは重要でしょう。

やりがいを持つためには、その仕事が世のため人のためになっていることを実感できることが大事ではないでしょうか。

儲かるからと言って人の道を外れたことをするのは、スリルや興奮は得られるかもしれませんが、その代償として肩身の狭い人生を送ることになります。

とは言え、稼げることは大事です。

組織の中で、その仕事を通して役割が与えられ、それに対して適正な報酬を得ることができなければなりません。

それにはまずその仕事をうまくやれるようになることが必要です。

ある程度のレベルに達し、自他ともに認められなければなりませんね。

 

技を極める、芸を極める、プロフェッショナルを目指すという生き方にあこがれたこともありました。

私は少年の頃の一時期、プロ野球選手を夢見ましたが、それは心と肉体の成長のアンバランスから、早々と高校1年生で断念せざるを得ませんでした。

造園会社に就職してからは、プロの庭師を目指そうとしましたが、先輩方の辿った道を聞き、生き様を知ると、とてもそんな真似はできないと我が道を行くことにしました。

その後今の福祉の仕事もするようになり、国家資格の一つも取ってみようかという気持ちにもなりましたが、それよりも目の前の仕事、お客様や利用者様に喜んでいただくことに必死で、とうとう今の今まで、運転免許の他に資格などというものは持たないままできてしまいました。

 

アマチュアのスポーツの祭典であるオリンピックには、プロのスポーツ選手は原則参加できません。

プロとアマの違いは、それを生業としているかどうかですね。

アマチュアの方は他のことで生計を立てています。

実力は十分プロだが、アマに甘んじているという選択をしている方もいます。

プロの医者という言い方はしませんね。

医者はプロでなければ困ると皆が認識しているからです。

教師はどうでしょう?

教師にも、学校の先生もいれば、塾の先生、その技に秀でた指導者という人もいます。

自称○○などと言って、そのカリスマぶりを発揮する人もいます。こういう人にとってプロとかアマなんていうのはどうだっていいことなのでしょう。

庭師はどうでしょう?

植物の知識は、私などよりもずっと詳しいというお客様がいます。

それはもう趣味の域を超えているようですが、それを仕事としているわけではなく、週末ガーデナーです。

つまり仕事とするには、覚悟が必要です。

どんな仕事を責任をもってやるのか、それをお客様が納得し、お金を払ってくださるなら、認められたと言っていいでしょう。

 

資格は持っていても仕事に活かせなければプロとは呼べません。

保育士の資格を持っている主婦の方など、潜在的な働き手の方が多くいらっしゃるそうです。

そもそも子育てにプロもアマもないなどという、子育てをしたことのない男の側からの発想が根強く、それが薄給につながっていると指摘される向きもあるようですが、福祉は全般にこうした傾向が未だ強いようです。

それはまた、ボランティアにもつながることですが、基本的に人助けをお金を取ってやるべきでないというような、奉仕の精神に基づくからでしょうね。

しかし順を追って考えれば、ボランティアではどうにもならないことがあまりに多かったから、それを仕事とする人たち、すなわちプロの人たちが誕生していったのだと思います。

今はそのプロが、奉仕の精神を忘れずに仕事することが求められていますね。

 

私は、福祉の仕事は、セミプロでいいと思っています。

大事な仕事は他にもありながら、人助けもする人が増えてくれればと思っています。

福祉にカリスマは必要ありません。

その人しかできないような、芸も技も必要ありません。

職人気質と言うような妙なこだわりや、人を寄せ付けないような物言いなどは、アートやスポーツの世界ではけっこうですが、福祉には無用です。

他の人を出し抜いて競争を勝ち抜くという世界観は福祉には馴染みません。

それだから、そういういう世界を抜け出したくて福祉に身を置くことにしたのかなと勘繰りたくなる人たちが多いのでしょうか。

しかしそういう人たちが、ここでも身の置き場を失って去っていくことがあります。

人が生きていくことが難しい社会だと、常々思います。

何かを安易に決めつけたり、こうでなければならないと規制を強めたりするのは、質を保つという意味である程度は理解できますが、行き過ぎは保身のためであるようにしか見えません。

私たちはこっち、あなたはあっち、こっちへ来たければこうでなければいけません。

そのためにあなたは努力しますか、しませんか?

そう問われるのはある意味健全ですね。

まだそこまで達していないけれども、受け入れてもらえたなら、達するまで努力をする。

教えてもらっていないからできませんではなく、できないのは承知で受け入れてもらえたのだから、少しでも早くそこへ到達できるよう自ら努力する。

努力をせずに権利主張する人が目立ちます。

できることは人それぞれ。

皆初めは素人、アマチュアです。

そしていつかプロになったなら、自分がかつて受け入れられたように、初めての人を受け入れ、育ててほしい、

その人が胸を張って、その仕事をプロとしてやれるようになるまで。

それこそがプロの役目だと思うのです。

 

 

 

★写真は、自宅にて、腰痛と肥満防止のためにバランスボールに乗っているところです。