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平成の終わりに

「令和」と聞いた時、エリック・クラプトンの「いとしのレイラ」という曲を思い浮かべたのは私だけではないですよね。

単に音が似ているというだけですが、万葉集などという雅なイメージとは程遠いですね。

親友のジョージ・ハリスンの奥さんへの片想いを表した曲だとか。

年度替わりのせわしないこの時期、時々思い出しては鼻歌を歌っています。

 

「平成」を思い返しても特別な感慨はないですね。

本当にいろんなことがあったけれど、これからも色々あるでしょうし、立ち止まる理由もないので、前に進むだけ。そんな感じです。

 

無理やりまとめるではないですが、障がい者を支援する仕事についてこの際一言、それを私たちは「意思決定支援」と言います。

自分で何かを決めたりするのが難しい方の、それでも自分で決めてもらうために、意思を示すのをサポートします。

どんなに障害が重くても、意思がある限り、それを尊重しようとする態度がまず必要です。

我慢強く、粘り強く、その意思を汲み取っていきます。

決して支援者側の考えや思いに誘導してはなりません。

なぜなら自らの人生をコントロールするのは本人のみであるべきであるからだ、と言います。

その通りでしょう。

しかしなかなかにこれが難しいのです。

知的障害や、一部の精神障害の方などには、自分が何をしたいのか、そのために何をしなければならないのか、優先順位を付けて考えたりするのが困難な場合があります。

そういう時に支援者はつい強引に自分の考えに引き込もうとしてしまうのです。

正しい自分の考えを押し付けようとする。

それが結局はこの人のためなのだと決めつけます。

本人に任せていたらいつまでたっても埒が明かない、とっとと決めて片付けてしまおう。

皆忙しいのだ。云々

 

昨年、お父さんが亡くなった利用者の方がいます。

お父さんが彼の身の回りの世話を焼いていました。

お母さんも体調がすぐれません。

彼がお母さんの身の回りの世話を焼いているようです。

お風呂に入れない、食事も満足に取れない日々が続きました。

そこで彼の叔父さんが時々やって来て面倒を見てくれることになりました。

しかし彼の障害についての理解がなかったために、すぐに腹を立てて来てくれなくなってしまいました。

スタッフや他の利用者に暴言を吐いたりするようになり、彼のイライラがピークに達しているのが分かりました。

私たちは、彼がお母さんを手にかけるのでは?という最悪のことを想像して、医療の助けを借りることにしました。

てんかんの担当医に連絡をして、精神安定剤の処方をお願いしました。

それがよかったのか、少し落ち着きが見えてきたので、関係者が集まって、彼の「支援会議」を行いました。

お母さんを支援する介護事業者との連携と、彼のグループホーム利用の方向性を決定し、本人に伝えました。

しかしなかなか本人が納得できないようなので、彼の「意思決定」は後日ということになりました。

 

彼とはレインツリーが始まって以来の付き合いですから、かれこれ9年になります。

気に入らないことがあると、誰彼構わず暴言を吐いたりするので、何度か厳しく叱ったりしてきました。その甲斐あってか、私の話は聞いてくれます。

私のことは信頼してくれているのは分かります。

なので、ときどき私は彼の父親のようになって、ああしろこうしろと言ってやりたくなります。

これまでもたびたびあるのですが、そのうちに取り返しのつかない事故や事件に巻き込まれたりするんじゃないかと心配だからです。

彼は今自分でどうしたらいいか分かりません。

やりたいことは分かっています。

やらなければならないことは何か、やらなくてもいいことは何かが分かりません。

いろんなことが起きて、頭の中が混乱しているのでしょう。

もっと強い力で彼を突き動かしたくなる欲求が私の中にもたげてきます。

 

「利用者本位」も福祉サービスには大事な定義とされています。

できるだけ利用者の希望を尊重し、強制的に求めたり行ってはならないということでしょう。

過去の失敗や反省から得た貴重な思想と言えます。

「過保護」や「あまやかし」との境目を見極めるのが難しいところではありますが。

ただ、世の中には障害があるとかないとか関係なく、さ迷っているように見える人が多くいます。

我社の採用面接に訪れる方の中にも、ずいぶんさ迷った跡が見える方が多くいます。

人生は決断の連続ですね。

何を食べるか、何を着るかに始まって、どこの学校へ行くか、どこの会社に勤めるか、この話を受けるべきか断るべきか、、

でもその決断に疲れてしまって、長いものに巻かれていたいと考える人も増えているような気がします。

敷かれたレールに腰を下ろしたときの解放感、安堵感は分かるような気がします。

 

私はずっと師と呼べるような人を探していました。

そういう人と出会ったら人生が変わるに違いないと、そんな風に思っていました。

人物伝などには決まってそういう人が登場するものです。

でもなかなかそんな人は現れませんでした。

新しい出会いがあるとそんな期待に胸を膨らませましたが、そのすべてが風船が割れるようにはじけて粉々になりました。

 

尊敬する人は?と尋ねられた少年が、王選手とか、徳川家康とか答える中で、父です、「お父さんのようになりたいです」などと言う輩でいて度肝を抜かれました。

何人かはそんなクラスメイトがいて、少し羨ましいような気持になったことを覚えています。

 

私の父は、よく言う反面教師のような人で、大酒飲みです。

そして酔ってろれつの回らない口で「お前は絶対サラリーマンにはなるな!」とまるで人生に大切なことはこれだけだとでもいうように、歓喜余ってそう言うのでした。

よほど会社の待遇に不満でも抱いていたのか、バブルがはじける寸前の、早期退職優遇制度にのって早々とリタイヤし、今は田舎で悠々と年金暮らしです。

好きな酒は相変わらずですが、毎日家事に励み、母と一緒にテレビのスポーツ観戦が楽しみで、誰よりもサラリーマンの恩恵に預かっているように見えるのですが、本人はどう思っているのでしょう。

お父さん、僕はあなたの酔っただらしのない姿を見るのが本当に嫌でしたよ。

学生時代のラグビー部の後輩を家に呼んではどんちゃん騒ぎ、弟と私は寝ているところを起こされて、ウルトラマンの歌を歌わされましたっけ。

そんな後輩たちにアフリカ単身赴任から持ち帰った見事な象牙の数々をプレゼントしてしまいましたね。あの人たちは今どこにいるのですか?

大酒飲みのお人好し、昭和の時代には珍しくなかったかもしれない、父親の姿ですかね。

あ、断っておきますが、お父さん、今のあなたは好きですよ。

あの恐ろしかった強面の風貌は、痩せて小さくなってしまいましたが。

余計なことは言わず、やりたいことをやらせてもらえたことには本当に感謝しています。

 

私たちは皆、困難なことにぶつかったとき、これをどう処理したらいいのか、この先どうしたらいいのか、道しるべを必要としていますね。

最も身近な親がそれを示してくれたら、それはとても幸運なことです。

でも今は世の中が急速に変化していきますから、ジェネレーションギャップに対抗するべく、親が子の価値観に合わせようと、友達のような親子が増えているといいますね。

私たちは、自分で自分の人生をコントロールする自由を求めていますが、力強く導いてくれる存在も同時に必要としているのじゃないでしょうか。

権力と自由の戦いは今もあちらこちらで続いています。

一方で、この生きにくい世の中を、しゃあしゃあと闊歩する力強い背中を追い求めるムーブメントも感じられますね。

 

神様、どうか私たちが権力者を頼ることなく、あなたの声に耳を傾け、自己決定と自己責任の圧力から解放されて、自分らしく生きることができますように。

 

平成の終わりにそう祈ります。